というわけで、「富岡町泉玉露応急仮設住宅御一行様」に混ぜていただき、引率係の一人として参加してきました。
いわき市を出発して裏磐梯五色沼へ、真っ赤な紅葉とハート柄の鯉が人気者です。
みんなで「ハートの鯉はどこだどこだ」と湖岸から必死に探しました。
会津若松市内に移動して、酒蔵見学。大吟醸の作り方などを教わりながら、気持ちは試飲コーナー。
大吟醸から純米酒まで、おいしい水で作られたお酒を堪能。
焼き物工場見学。工房と言うより工場という風情の流紋焼。工業用ガイシも作られており、大きな施設でした。
相馬焼を作っておられた方が、こちらに避難されて働いておられました。
テレビなどでも多くの取材を受けているそうです。
宿泊は、会津芦の牧温泉・丸峰観光ホテル。自治会主催で申し込んだので、行く先々、御一行様の名称は申し込み団体名で表記されていました。
さすがに「歓迎看板」の事までは考えていなかったため、みんなで苦笑い。
宴会場前にも「富岡町泉玉露応急仮設住宅自治会様」と行灯に書かれており、通り過ぎる方がたくさん覗かれて行かれました。宴会場前の行灯は、「応急仮設住宅」の部分を隠してもらいました。
その宴会場。この後カラオケをして大いに盛り上がりました。
宿泊した丸峰観光ホテルの方の話だと、観光客は震災前の賑わいまで後一歩のようです。
この地域は、東京より空間放射線量が低い地域で、安心して来られますと話しておられました。
二日目は、まずは塔のへつり。
いよいよ大内宿へ。山の中にぽっかりと開けた土地に、茅葺き屋根の建物が美しく佇んでいます。
実際にはほぼすべての建物がみやげ物屋と飲食屋になっており、静かな雰囲気ではないのですが、高いところから見下ろす大内宿は、大変美しい町並みでした。
大内宿では箸の代わりにネギ一本で食べるお蕎麦が有名なのですが、飲み食いをしながら観光をしているものだから、すっかりおなかいっぱいになり、皆さんと栃餅をたべて昼食にしました。
仮設住宅はとても狭く、皆さんは富岡の我が家にたくさんの生活用品を置いてきたままです。
引っ越し当初は、「残念だけどあれもいらない、これもいらない」と話されていましたが、今回は、流紋焼の焼き物を手に取りながら「狭くて置く場所がないけど、やっぱり買っていくかぁ」と手に手に焼き物を買われていました。
ほかの観光地でも、飾り土産を買われたりして、生活の落ち着きを感じました。
それでも一人暮らしの方々は、四畳半一間のプレハブ住宅で生活されており、自治会長さんの終いの挨拶では「心の洗濯が出来ましたか?」と静かに訪ねておられました。
私のもっぱらの役目は「お薬飲みましたか?次のお手洗いまで○○分くらいありますよ」と冗談を話す事でした。
仮設住宅に戻ってきたら、「これから支援物資がトラック一台分届くところなんだ」と言うことで、待つこと1時間。
セカンドハーベストジャパンから毛布が届きました。
受け取る側も声を掛け合って多くの人が出てきて荷受けをしました。
記・宮田裕三