桜井兄の感想

京阪神聖公会 日立ボランティア参加手記
 使徒ヨハネ桜井昭
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      桜井 昭兄
5月6日(金)神戸空港発→茨城空港→常磐線水戸駅→日立駅→京阪神聖公会日立ボランティアセンター(日立聖アンデレ教会)着。13時巡視出発→北茨城市大津漁港(巨大漁船漂着)→福島県いわき市小名浜(津波被害次第に顕著)→豊間。当地海岸防波堤のコンクリート塊が木端微塵に砕かれ散在山積。その塊達が悲しそうに僕に向け泣いていた。海岸から住宅地に入ると歪んだ子供自転車、勉強机、屋根瓦、戸板、剥き出しの家屋基礎。とてつもない津波エネルギーに放心。青天の日差しが白々しい。波音への腹立たしさ。巡視もここまで。福島第一原発から60キロ手前。もうすぐ警戒区域の地点。
7日(土)KHS出発。1時間15分高速を走り、いわき市小名浜の社会福祉協議会ボランティアセンター着。10名の小隊をにわか編成。下神白地区へ。田畑にあろう筈もないタイヤ、廃屋の残材、丸太、植木鉢、トタン屋根、散在する家屋壁材、一面の汚泥などなど、それらを一つ一つ手で掬い上げ、仮設で敷いた歩み板を渡りながらリヤカーに積み込む。一杯になったリヤカーを集積場までの坂道を何度も往復。20代若者多くも皆静かな声と温和な顔。慎重且つ大胆にひたすら遂行あるのみ。小休止は車座で水分補給と心づくしの菓子。しばし座談。そして再開。畔を運び農道の急斜面を引き上げるも喜色満面。服は泥だらけ。15時30分社協帰着。一期一会なるも一心同体だった皆との別れは切ない。が清々し。
8日(日)9時CS礼拝。15名ほどの子供たち大人たち。10時30分聖餐式。25名ほど。式後お茶。午後は宿舎のトイレ清掃志願。付属双葉幼稚園の園庭掃き志願。大木多く霊気豊か。
9日(月)再び社協へ。6名の小隊編成し中之作地区へ。リーダー指名直受。目前に漁港。冷蔵庫から発する腐臭強烈なるも皆穏やか。U字側溝の泥を大型スコップで掬い出し土嚢袋に詰め道路脇に並べゆく。瓦礫も多数あり。水分補給の小休止。寿司職人とその妹、名古屋の70歳代の小学生同級生の二人。司祭と私。15時30分社協帰着。社協のスタッフも交えドリンク剤でしばし歓談。現地スタッフの話が心痛し。
10日(火)午前中アンデレ教会信徒宅の屋根シート養生補修。午後いわき市「南の森スポーツセンター」訪問。避難所である。他の聖公会信徒も加え20名ほどで「おかし屋台」と銘打ちポップコーンや綿菓子や信徒手作りの焼き菓子それに寄贈品の食器をお配りする。と共に「傾聴ボランティア」。私は3名の方々と。効果全く確信出来ず。が中空を追う虚ろな眼差しだけは決して忘れない。子供たちが学校からドンドン帰ってきた。奇声を発し綿菓子やポップコーンを頬張る姿を見たのがせめてもの救い。皆も私も。
11日(水)午前中宿泊所の生活用品と道具調達。アンデレ教会の隣地から伸びる樹木の枝払い。14時46分全員集合。震災2箇月目のレクイエム。あと全員で大浴場に向かい汗を拭う。その後ささやかな料理を皆で手作り。頂く。
12日(木)常磐線日立駅を出発、新幹線で帰途に就く。そのすべての間ずっと放心状態。眠るでもなく目覚めるでもなく。最後にご一緒させて頂いた皆様のお名前を記します。(順不同)
瀬山司祭(米子・センター長・司令官) 中村由香里様(神戸ミカエル・シッカリ者の副センター長) 斎藤英樹司祭ご夫妻(日立アンデレ) 鈴木様ご夫妻(日立アンデレ) 末永しのぶ様(日立アンデレ) 日立アンデレの子供たちと信徒皆様 小南司祭(神戸昇天) 上原司祭(神戸ミカエル) スコット・マーレー司祭(京都アグネス) ジム・マッツン様(京都) 山下様(奈良基督) 高杉様(広島復活) 伊藤様(広島復活) 宮田裕三様(東京マリア) そのほかにもたくさんいらっしゃいます。最後にアンデレ教会ご婦人たちから「桜井さん、クリスマス礼拝に是非いらしてください!」例え外交辞令でもホノボノ。山本司祭のご勧奨に感謝。以上